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トスカーナのサンジョベーゼが多面的な魅力をもつことは知られている。ある時は繊細で優美なボッティチェリの描線のごとき佇まいを見せ、またある時は勇壮で肉厚なミケランジェロの彩色のごときオーラを放つ。

概して前者はキャンティ・クラシコ的、後者はブルネッロ・ディ・モンタルチーノ的な個性と呼ばれることだろう。この二つのワインを知らぬ人はいないし、誰もがイタリアを代表する赤ワインだと思う。それはこの二つがかくも明確な個性を一貫して提示し続けてきたからだ。名前を聞いても曖昧なイメージしか想起できないワインは多い。イメージなしにどうして買うことができようか。

キャンティ・クラシコの風景はなだからな丘が続く、心なごむ中距離の眺め。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは平野に突然立ち上がる標高564メートルの孤立峰であり、遠くまで見渡せる気宇壮大な眺め。キャンティ・クラシコは年間降水量900ミリのしなやかさ。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノは700ミリの濃密さ。。。こうして対比的に見ていくと、ブルネッロの個性が否応にもイメージできてこないだろうか。

ブルネッロ・ディ・モンタルチーノを買う以上は、その明確な個性がなければならない。ブルネッロならばなんでもよいわけではない。まずいブルネッロは少ないとはいえ、北斜面も東斜面も南西斜面も意外と多くの場所は砂や粘土の“土”系ワイン。つまり雄大ではあっても芯・骨格が弱く、フルーティさが表に出る。そのようなワインをDOCGの規定に従って2年間樽熟成すると、樽負けしてむしろ痩せてしまったり、樽風味が目立ったり、タンニンが浮き上がったり、という、ブルネッロが嫌いだという人たちが思い浮かべる味になりやすい。

丘の頂上から南におりるエリアの石灰岩なのか、それとも西側のガレストロなのか。この両者の“岩”系ワインが正統的であると主張したい。その堅牢さゆえに、長期熟成はむしろ必須となり、強い日照と少ない降雨がもたらすボリューム感のある濃厚な果実味、そしてサンジョベーゼ独特の気品のある垂直的な構造とあいまって、ブルネッロファンの心を掴んでやまない完成された姿が出来上がるのである。

Casa Raiaの畑はモンタルチーノ村のすぐ西。標高が365メートルと高く、外界を見下ろすような位置にある。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノの生みの親であり、伝説的名声を確立したビオンディ・サンティがかつて所有していた土地。ガレストロ主体に石灰の礫も混じる、典型的な“岩”系ブルネッロ・ディ・モンタルチーノである。岩のワインらしく芯の確かさ、ミネラル感の強さは顕著ながら、その周りを覆う質感は流麗で、タンニンが細かく、香りにはクリーンな華やぎがあって、現代の高級ワインに求められる特質を備える。造り手のピエール・ジャン・モノワイエがフランス出身だと知らずとも、このワインを飲めばフランス的だと思うだろう。

そこでCasa Raiaを国籍不明のグラン・ヴァン(そういったワインも多いのが問題だが)だと見なしてはいけない。ローマ時代からブドウ栽培は行われているとはいえその名声は1960年代から70年代に確立したブルネッロ・ディ・モンタルチーノは、ある意味新興産地なのであり、ここでは生産者がそれぞれの視点と技法によって多様な挑戦が続けられている、進化の過程にあるワインなのである。Casa Raiaが示す上品さで磨かれた美意識は、既に理解され尽くしたと思われがちなブルネッロ・ディ・モンタルチーノの可能性にいまだ大きな伸びしろが残されているのだと教えてくれる。

技術的なディティールについて述べるなら、ポンプを使わずにブドウを重力によってタンクへと移動させていくことをまず取り上げねばならない。丁寧にブドウを扱うことで、Casa Raiaの香りのピュアさと味わいのしなやかさがもたられるのだと解釈できる。圧搾はバスケット式であり、これもえぐみや雑味のなさに寄与している。瓶詰め前に濾過を行わないのも、濾過しなければならない不快な要素がもともとないからだ。

しかし最も重要なのは醸造ではなく、生態系のバランスに留意したオーガニック栽培だ。どれほど洗練された現代フランス的な醸造であっても、どれほど優れた地質であっても、素材となるブドウに自然の力を素直に伝達する能力がなければ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノという格別のテロワールの味わいをワインに表現することはできない。逆にうなら、並みのテロワールでどれほどオーガニック栽培をしようとも、ワインはそれが並みのテロワールであることを明らかにするだけだ。

Casa Raiaのワインは、ゆえに、土地のポテンシャル、ブドウの力、醸造の技術、そして生産者のセンスが稀有な形で相乗効果をもたらす、現代を代表するブルネッロ・ディ・モンタルチーノである。