Palladino

果実味か、それともタンニンと酸か。飲みやすさか、それとも長熟可能性か。バローロについて語られる時の、紋切り型の二者択一設問である。

ブルゴーニュの例をとるなら、ヴォーヌ・ロマネ1級ショームは前者だし、ヴォーヌ・ロマネ1級ゴーディショは後者だ。では両者の1級畑のあいだにある特級ラ・ターシュはどうか。タンニンも酸も大変にしっかりしているが、果実味も十分にある。数十年の熟成に耐えるが、樽熟成中に飲んでも驚くほどおいしい。つまり、本当に偉大な一流の畑とは、二律背反的要素を高度に両立させて1+1を2以上にできる畑のことである。

今さらここで言うまでもなく、ひとつひとつのテロワールの個性を単一品種を通して精妙に描写するワインであるという意味で、バローロとブルゴーニュは似た特徴をもつ。現在、世界じゅうのブルゴーニュファンがバローロに熱い視線を送っているのは、テロワールの精妙な世界に踏み込むことで甘美なスリルが得られるという点で、両者は同一の位置づけにあるからだ。さらに言うなら、ブルゴーニュと異なり、バローロは基本的にはどこでも十分によい畑である。そしてバローロは、シャンボール・ミュジニー1級が平然と数十万円といった対価を要求するブルゴーニュと比べて、はるかにお買い得である。人気にならないほうがおかしい。

昔ならば、バローロはDOCGバローロであるという理由だけで満足された。しかしワインファンの意識・知識が高まり、テロワールの味を楽しむという本来の姿勢が一般化すると、必然的に一流のテロワールとそれ以下のバローロの差が意識されるようになってきた。そこで改めて確認せざるを得ないのは、セッラルンガ・ダルバ村の優位性である。

セッラルンガ・ダルバ村のバローロと言えば、強いタンニンに支えられた厳格な構造とそれゆえの長熟可能性が語られるし、それは事実だ。しかしそれと同時に重要で、とりわけここで力説しておきたいのは、果実の厚みと質感の粘りがもたらす高密度で豊かな実体感である。それゆえにこの村のバローロは、ヴォーヌ・ロマネ村の特級と同じく、二律背反要素の統合が実現されるのである。

このことを実感させてくれる作品が、セッラルンガ・ダルバ村のパラディーノである。彼らはある意味、個性の乏しい生産者だ。ステンレスもしくはコンクリートのタンクによる長期マセラシオン、フレンチもしくはスラヴォニアン・オークの大樽による熟成、と、極めてノーマルな造り。味わいも素直で、中道を行き、特殊な“スタイル”が自己主張することがない。もし畑が二流だったならば、それは凡庸なバローロしか生まないだろう。だが彼らの所有する畑はセッラルンガ・ダルバのみ、それもオルナート、サン・ベルナルド、パラファーダといった珠玉の畑である。造りの個性を後ろに控えさせることで、最も大切なテロワールの個性が浮かび上がる。最上のサーロインなら、あれこれいじらず、塩コショウだけで炭火焼にするのが一番よい、ということだ。

スタイリッシュで緻密な佇まいと風格のあるオルナート、厳格な構造の中に古典的な気品を漂わせるサン・ベルナルド、優美な果実味の広がりと魅惑的な甘い香りのパラファーダ。名高い新第三紀中新世Serravallian階(1382万年前から1153万年前)のLequio層の泥灰岩土壌がもたらすセッラルンガ・ダルバならではの卓越した品質を共通分母としつつ、それぞれの畑の美点が飲み手の感性にまっすぐに伝わる。バローロファンにとってこれほど幸せな体験はない。

それら単一畑ワインのみならず、上記3畑にセッラ、ガブッティが加わったブレンド、バローロ・デル・コムーネ・ディ・セッラルンガ・ダルバも、その名に恥じず、素晴らしいバランスの傑作である。ブレンドすることで畑ごとの個性が全体へと融和し、セッラルンガ以外なにものでもない密度、構造、存在感といった特徴が明らかになる。特に、先述したセッラルンガ・ダルバの二律背反要素統合性は、このワインを一口飲めばたちどころに理解されるであろう。

経験豊かなバローロファンにとっての新たな基準点のひとつであり、バローロ初心者にとっては道を誤らないための最適なスタートラインが、パラディーノである。